第弐拾九話「『力』と『想い』の追複曲」


誰かの声

ボクを呼びかける懐かしい声

この声―

お父さん―?

 
今まで寂しい想いをさせてすまなかったな…

だが―

これからは家族3人一緒だ―

 
本当 本当に―?

 
ええ―

私もここにいるから―

 
ありがとう―

お父さん お母さん

 
何処か行きたい所はないか―?

私達が連れて行くから―

 
家族3人での旅立ち

それは永遠に叶わないと思っていた夢

でも―

ボクはどこにも行かなくていいです―

自分の一番大切な人―

その人の側にいられるだけでいいですから―

 
そう―

それがあなたの願いね―

ならば私達に出来る事は……

 
 激しい吹雪が吹き荒れる中、私はひたすら山に向かって歩き出す。降り掛かる雪を払い除け、視界を確保しながら前進を続ける。
 もう逢えない―。あゆはそう言っていた。だが、神々が舞い降りる現世と異世界の境が不確定な今ならば逢えそうな気がする。その人が例え既に現世に姿が無い人間であったとしても…。
「思えばこの街を再び訪れた最初の日もこんな感じだったな…」
 頂上に着き、私は大木の切り株の上に座りながらあゆとの邂逅を待つ。深い雪の日、それは不思議との邂逅が可能な日―。私に力をくれた舞との再会がそうであったように…。
「まだ現れないか…」
 頂上に着きもう2時間は経過しただろうか?名雪を待っていた時はちょうど意識が朦朧としてきた時間帯である。あの時は東北の冬には慣れておらず、僅か2時間でリタイアしかけたが、その寒さに慣れた今なら後4〜5時間は耐えられそうである。それに、あゆは私の事を7年間も待ち続けていたんだ、この程度でくじける訳には行かない…。
「ようやく来たか…」
 空腹と寒さで流石の私も意識が途絶えそうになっていた黄昏時、私の眼前にようやく待ち望んでいた人が現れた。
「探し物、見つけてくれたんだね…」
「ああ…。もっとも、見つけたのも、元の姿に修復したのも私ではないがな…」
と、苦笑しながら私は答える。
「そんな事ないよ…。ありがとう祐一君、これでボクは思い残すことなく空に旅立てるよ…」
「いや、まだだ!まだ旅立たせはしない…!!あゆ、聞かせてくれ、お前の最後の願いを…」
「そうだったね…。まだ残っていたね願い事……」
 あゆは後ろを振り向き願い事を思い浮かべる。そして―、
「決まりました!ボクの、ボクの最後の願いは―」
 私の前を振り向き―
「ボクのこと…、忘れて下さい……」
 えっ―!?
「始めからいなかったって、そう思って下さい……」
 これ以上ない笑顔でそう答えるあゆ。でも、その瞳の奥には今にも溢れでそうな涙を抱えていた…。
「いいのか…?それで本当に……」
「だってボク、来るはずのなかった、迎えられなかったはずの時を祐一君と過ごせたから…。だからボクにはもう願い事はありません…。でも…残された祐一君にはボクを失った悲しみは背負って欲しくないです…。だって祐一君はボクの一番大切な人だから…、一番大切な人にはどんなことがあっても幸せになって欲しいです。だからボクのこと忘れて、新しい恋に、愛に生きて下さい…。それがボクの最後の願いです…。一番大切な人が幸せでいること、それがボクにとっても一番の幸せですから…。だから、ボクのこと、うぐぅ…忘れて……」
 溜め込んでいた涙を支えきれず、笑顔を崩し嗚咽を交えながら泣き出すあゆ…。恐らくその願いはあゆの本当の願いではないだろう…。私に幸せになって欲しい…、そう願う為に自分の本当の気持ちを必死に殺して願いを述べたのだ…。
「…分かった…。お前の願い確かに聞き入れた……」
「ありがとう…。じゃあ、これで本当にさよならだね、ゆうい…」
「残念だが、その願いは私に叶える事は出来ない……」
 あゆを制し、私はそう答える。
「どうして!?」
「言わなかったか?その人形が叶えられるのは私に出来る事だと…。あゆを忘れる事、それはどんな事があろうと私には出来ない……」
「祐一君…」
 私はあゆに近づき、優しく抱き締める。身体の感覚はだいぶ麻痺していたが、それでもあゆのぬくもりは感じとる事が出来た…。
「例えどんな事があろうとも、この温かみは忘れたくない…。あゆと過ごした素晴らしき日々は忘れたくない…。それに私の一番の幸せもあゆが幸せでいる事だから…。だからあゆが不幸せになる事は私の幸せにはならない…。だから、あゆの本当の願いを、あゆが幸せになる願いを言ってくれ!」
「祐一君…、祐一君っ…!!本当はボク、もっと祐一君と遊びたい、同じ時をずっと過ごしたい…。そしてずっと一緒にいたいです…。ごめんなさい…、そんな願い叶えられないよね……」
「謝る事ないだろ…。それがお前の本当の願いなんだな…?」
「うん…これがボクの、ボクの本当の願いです……」
「分かった…。お前の願い必ず叶えてやる!」
「本当に…?」
「ああ…、私の『力』と、私のあゆを『想う』気持ち…。それがあればどんな奇蹟でも起こせる……」
「ありがとう……」
「あゆ……」
 ありがとう―。その言葉を残してあゆの温かみが消えた…。異世界へと繋がる雪の道を飛翔して行った。そして目の前に残されていたのは私があゆにあげる筈だったあの赤いカチューシャ。
「奇蹟か…。いくら私でも既にない人を再び連れ戻すのは不可能だな……」
 私はそれを拾い、暫くじっと見た後ポケットの中に入れる。

『私達に出来るのはここまでです…』

『後は祐一君、君次第だ…。娘の事、宜しく頼んだぞ…』

 その瞬間声を聞いた―。
「その声、神夜さん…、それに日人さんですね…。貴方方はずっと空に旅立たず自分達の愛娘を見守っていたのですね……」
 私は切り株を枕にし、その場に倒れ込む。
「この寒さなら死ねるな……」
 朝から降り続いていた雪は未だに止まず降り続ける。このまま降り続けていれば深夜は氷点を回るだろう…。3食を全て抜き、長時間雪に打たれていたこともあり、私の身体はいつ倒れても不思議ではない容態である。あゆはもう現世にはいないのだ、いくら私でも死人を蘇らせる事は不可能であろう…。ならばあゆの最後の願いを叶えてあげる為には……、
「あゆ、待っていろ…。今すぐ私も向かうから…。これからはずっと一緒だ、共に空に上がり大気を旅しよう…。そして、共に同じ存在に転生して今度こそ幸せになろう……」


「今日こそボクが起こすよ!」
「何よ、兄様を起こすのは私の役目よ!」
「ふ〜、今日も相変わらず騒いでるな…。ま、目覚まし代わりには丁度良いが……」
 あゆが水瀬家に居候するようになってからもう暫く経つ。その当初から私を起こす事であゆと真琴が対立し、今のように部屋の前で毎日のように闘いあっている。
「さて、今日はこれかな…」
「ポチッ(BGM、機動戦士νガンダム逆襲のシャア「メインタイトル」)」
「荒恵比須の血は伊達じゃないわよぅ!!」
「その程度の攻撃、避けて見せるよ!!ボクは誇り高き戦闘民族、高砂族の血を引いているんだよ!!」
「クッ、流石は拳王の子…。だけどまだまだ負けないわよぅ!!七星点心!!」
「質量のある残像…やるわねっ!ならばボクはっ…!!」
「さてと、着替えも終わった事だし下に降りるか…。じゃあな2人とも、どっちかCD止めて降りてくるんだぞ!」
「あうーっ、またしても……」
「うぐぅ…、この勝負はお預けだよ……」
とまあこんな感じで、起こしに来たのはいいがなかなか勝負がつかず、2人が勝負をしている間に私の着替えは終わり、2人の願いは成就されぬままである。始まって一週間位からはこの闘いが朝の楽しみとなり、BGMを流しながらその行方を楽しんでいる。
「おはようございます、秋子さん」
「おはようございます、祐一さん。いつも早いですわね。少し名雪も見習って欲しいですわ」
「はは、でもやっぱり春菊さんには敵わないですよ。もう登校したのでしょう?」
「ええ。先生であるからには生徒より早く登校するのは当然の義務との事ですから」
「教師の鏡ですね。秋子さんも起きるのは早いし、名雪の起きるのが遅いのは劣性遺伝か何かなんでしょうかね?」
「そんな言い方ひどいよ祐一…」
「おっ、もう起きてきたのか名雪。今日は早いな、まだあゆ達は降りて来てないぞ。今日は雪かなぁ〜」
「うー…、もう冬はとっくに過ぎてるよ…」
「はは、そうだな…。ま、春に雪が降る程、滅多に無い珍しいという事だ…」
「うー…」
「お、おはようございます、秋子さんっ!」
「おはようあゆちゃん」
「お、あゆ。今日は随分と時間が掛かったな」
「『メインタイトル』何か流すからだよ〜。あの曲聞くと暫く闘わずにはいられなくなるんだよ〜」
「『明鏡止水』よりはマシだろ?あれ流すとお前達本気になり過ぎて下手をすれば家を壊す勢いだからな」
「うぐぅ…」

 
  …これは夢!?それとも死後の自分が垣間見ているもの…?分からない…、ただ言えるのは、これが私の望み…、私の願い……。私が居て、あゆが居て、真琴が居て、名雪が居て、秋子さんが居て、そして…亡くなった筈の春菊さんが居て……。皆が皆幸せでいられる、そんな生活を……。だが、全ては遅い…もはや私はこの悲しみに満ちた心を持ち抱えたまま天を駆けるのみ……。

『行かせはせぬ!我の眼前で悲しみを抱えたまま空に上げさせる訳には行かぬ!!』

 えっ!?この声は……。

『少年よ、貴殿の想い人は未だ現世に魂を残したまま、然るに今貴殿が大気に行く理由は非らず!!』

 えっ!?つまりそれは……。

『目を開き現実を見よ!さすれば道は自ずと開かれる…』

「あなたは…、誰です…?昔からその声を聞いた事がある気がします…。貴方は一体…?」

『我は自らを持って我自身の身体を壱千年この地に縛り付けている者……』

「自ら縛り付けている…!?一体何の為に…」

『大気に己の意に反し体を縛り付けられている大君たる我の想い人、その者の鎖を断ち切る為……』

 その瞬間、私の体を包む懐かしい温かみを感じ、私はその温かみに惹かれ眼をゆっくりと開き始めた。
「気が付きましたか、祐一さん?」
「佐祐理さん…?どうしてここに…!?」
 目が覚めた時、私の眼前には佐祐理さんが居り、私は佐祐理さんに温められながら抱き抱えられていた。
「名雪さんが祐一さんが帰って来ないのを心配して、昨晩私の家に電話を掛けて来たのです…」
「でもどうして私がここに居ると分かったのです?名雪にも何処に行くか伝えていなかったのに…」
「私自身祐一さんが蒸発した事が心配で、その想いを抱き抱えたまま眠りに入ったのです…。そうしたら夢の中で神夜さんの声が聞こえたのです…。祐一さんがこの場所にいると…。その声に従い私は防寒具を羽織り降りしきる雪の中、この山目掛けて歩き出しました。そして頂上に着いたら祐一さんの姿を見つけました。体が冷え切っていたのでこのままでは死んでしまおうと思い、私はそれからずっと祐一さんを温めていました……」
「佐祐理さん、私の為何かにこんな寒い中を……」
「祐一さんは私にとって大切な人ですから…。それに、覚えていますか?以前この場所で初めてお会いした時の事を……」
「えっ!?」

「ぐすっ…あゆちゃん……あゆちゃん……」

「泣かないで…。大丈夫…、きっと…きっと助かるから……」

 そうだ…、あの時目の前であゆを失い悲しみに打ちひしがれていた私を優しく包んでくれた温かみ…。それは……、
「そうだあの時もこんな感じで……」
 時を隔てて感じた温かみ、それは昔と変わらぬ佐祐理さんの温かみ……。
「思い出していただけましたか…?あの日、私は父と日人さんの墓参りの為この山に登りました。そしてその後、両親を失い私の家に預けられていたあゆちゃんを迎えに山に登りました。知り合いのお別れ会をこの山の頂上で行う…、そう言っていたので様子はどうかと…。そしたら私の目の前に見えて来たのはあゆちゃんと同じ年位の男の子が泣き叫ぶ姿…。私達は出会っていたのですよ、7年前この場所で…。祐一さん…、あゆさんはまだ生きていますよ…、7年間ずっと貴方が来るのを待ち続けて……」
「あゆはまで生きていたのですね…。という事は、私は7年間ずっと死んだと勘違いをしたまま……」
「無理もありませんわ…。目の前であのような惨劇を垣間見ればもう助からないと思うのは……。それにあゆちゃんは辛うじて命はとり止めたものの、あれからずっと深い眠りについたままです…。そう、棘に囲まれたお城で王子様を待ち続ける眠り姫のように……」
「それであゆは今何処に…」
「山を降りて駅前の道を西に真っ直ぐ行った先の信号を右折した病院です…」
「ありがとうございました!」
 佐祐理さんに深い深い感謝の念を捧げ、私は山を降りる。
「後は頼みましたよ…。眠り姫の目を覚ます王子様は祐一さん、貴方なのですから……」
(それにしてもあの声は一体…)
 山を降りきった時そう思い、一度山を見返す。山の頂上から眼前に目を降ろした時、ふと私の目にある碑が入って来た…。
「出羽神社…?」
 恐らくは頂上にあった神社の名前なのだろう。
「まてよ…!?出羽神社…『羽出ずる社』と書いて出羽神社……あっ…!」
 その時私の脳裏に蘇ってきた言葉、それは…
「『羽出ずる社に護られし山に住まう八百万神(やおよろずのかみ)の長…』そうか…あの声の主が……」
 だが、今はそんな事に構っている余裕はない。早くあゆの元に向かわなければ……。


 病院の係の者に聞き、私はあゆの病室に向かう。
「ここか……」
 目の前には「月宮あゆ」と書かれたネームプレート…。私は恐る恐るそのドアを開け病室に入る。一定のリズムを刻む心電図、様々な器具…、そして複数の延命装置に囲まれた中心に私の最愛の人の姿はあった。静かに目を閉ざし深い眠りに付いている少女、その髪は腰の辺りまで降りており、身体を覆っている複数の管はさながら棘のようであった。その姿は正に棘の城で眠る眠り姫であった……。
「あゆ…、今まですまなかったな…、7年間ずっと、ずっとお前を一人ぼっちにさせて…。だけどもう悲しい夢は終わりだ……」
 舌先に私の力を、私の想いを全て捧げ、そしてあゆに口付けをする。
(届け、私の想い!奇蹟よ、起きろっ!!)
「ん…?」
「あゆ…」
「ここ…どこ…?目の前にいるのは…誰……?」
「あゆ!あゆ!!良かった…気が付いたんだな…」
「その声…祐一君……?うそ…本当に…本当に祐一君……?」
「ああ、私だ!祐一だ!!」
「祐一君…本当に祐一君なんだね…?うわぁぁぁ〜〜ん、祐一君祐一君っ!!」
「あゆ!!」
「もうダメかと思ってた!もう2度と逢えないかと思ってたよ〜〜!!」
 互いに互いを抱き締め涙を交わす私とあゆ。その涙の量が如何にお互いを想っていたか、如何にお互いを愛し合っていたかを物語る。悠久の刻を越え、再び手にする事が出来たこの温かみ…。もう2度と手放しはしない……。

…第弐拾九話完

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